東北大震災_ボランティア第一弾

被災地へ届け!  NEOKANAZAWA復興支援隊第一陣が出発

ボランティアバス
ボランティアバス

4月15日金曜日の21時30分、テルメ金沢の第二駐車場(事前に了解済み)に集合して、物資の積み込み、道具一式の積み込み、そして、今回被災地へ同行が出来ない人たちの見送りなどをしました。

 

OBからは、到着後の朝食として、芝寿しのお弁当とお茶。

残念ながら日程の合わなかった現会員からは、ゴム手袋や軍手、マスク、リポビタンDなど。

 

しかもこのバス、OBがレンタカー屋さんに手配してくれたんですが、以下のやり取りがあったそうです。

「さすがにレンタカーを無料にすることはできませんが、志ということで・・・」

と、お金をいただきました。しかも、レンタカーに要した費用と同額です。

 

レンタカー屋さん、本当にありがとうございます。頑張ってきます!

 

様々な人と様々な想いを乗せて、一路宮城県まで出発です!

現地到着!早すぎたので、仙台空港へ・・・

仙台空港ターミナル内
仙台空港ターミナル内

現地ボランティアセンターへ到着したのが、朝の7時くらい。さすがにまだ稼働してはおらず、時間があったのと、どこかで朝食を摂るという理由で、仙台空港まで足を運んできました。

 

実は、ボランティアセンターまでの道のり、はっきり言って復興の手を必要とするものではありませんでした。コンビニもあればガソリンスタンドもあり、大型店舗も普通に営業をしている感じです。屋根の瓦が崩れて、ブルーシートをかけている家は目立つようになってきましたが、12人もの人手が必要なのかなと心配になってくるほどの風景でした。ところが・・・

 

被災地の光景~テレビで見たハズなのに~

目の前に広がってきたのは、悲惨な光景。

昨日まではパソコンやテレビで散々見てきたハズなのに。到着するまでは、笑いながら喋ってたのに。いざ現実を目の当たりにすると、バス車内では誰も言葉を発さなかったのが印象に残っています。

 

家はもちろん崩壊しており、人が住む事はまず出来ないだろうという状態。

割れた窓から見える家の中は、うっすらと人が住んでいたであろう面影が垣間見えます。

 

電柱は、津波によって曲ったのであろうと思われるが、通常では見る事の出来ない曲り方。

目に見える電柱の全てが、電線を巻き込みながら曲っています。

 

田んぼのところどころに、車が転がっています。おもちゃのように。

ボディはボコボコにへこみ、窓ガラスは割れて、ひっくり返っている車も多々あります。

最初はびっくりしましたが、最終的には、それが山積みになっていました。車の解体工場かと見間違うような光景です。

 

警察や自衛隊などもいたるところにいて、異常さを増幅させてくれます。

放射能対策なのか、砂ぼこり対策なのか、みんな防塵マスクをしています。

 

作業確定 海岸から近い、被害の比較的大きな・・・

ボランティアセンターから依頼を受けたのは、海岸から1kmも離れてはいないような場所で、被害が甚大な地区の、家屋の清掃です。家屋とはいっても個人宅ではなく、「寺島公会堂」という岩沼市寺島地区の公民館のようなもの。それなりの広さもあり、12人の団体が作業するにはうってつけの物件(?)だったと思います。

 

作業内容は大きく分けて3つ

①トイレを使用可能なまでに復帰

②全体の清掃・ドロ出し

③隣接する小屋のドロ出し

 

それぞれが分担して作業をこなしました。水道はきていましたが、電気は来ておらず、終始人力作業でした。

当たり前の話ですが、津波が襲来したあとの家屋の清掃などは経験が無く、何をどこまですればいいか、それもボランティアの判断に委ねられる、といった状況です。

 

現地の人たちとの交流 他のボランティア隊

ちょうどこの日は、他のボランティア団体が入っており、

近くの作業場には、青年海外協力隊の愛知県支部から来たという46人もの団体さんもいました。

 

作業場周辺にトイレが無く、我々がお手製で復旧させたトイレが大活躍!

トイレを求めて、上記の方々も度々足を運んでおられました。

 

石川県よりも遠方から、大型バスに乗って11時間の移動。いやはや脱帽です。

 

ボランティアセンターにもたくさんのボランティアさんがいて、NEOのOBさんが、誰にでも話しかけるという特技を活かしながら、様々な情報交換をしていました。

現地の人たちとの交流 現場の隣人編

地元隣人
地元隣人

たまたまなんでしょうが、公会堂のおとなりで、何軒かのお宅が共同で炊き出しを行っておりました。そこで、我々が必要とされるかどうかも分からないまま持ってきた物資や、OBから預かって来た物資などを、隣人に託すことにしました。内容は以下の通り。

 

■お花 ■お守り ■温泉卵 ■カレンダー ■ボール

 

少しでもお役に立つことを祈っております。

ちなみに、「自分が持ってきたものが一番喜んでくれた!」と、会員同士の小さなせめぎ合いもありました(笑)

 

 

●この写真にも映っている赤い作業着を着たメガネのおばちゃん。実は、この区の区長さんの奥様で、公会堂の管理もしているのだとか。物資を持って行った際に少し話を聞いていると・・・

 

「な~んもかも流されちゃってねぇ。車も、2台とも流されちゃったのよ。アハハ。」

「これ見てみ。(ご自宅の一階の床がない状況を見せられる)一階じゃ住めないから2階で寝てるんだけど、毎日揺れるのよ。アハハ。こないだねぇ、2階で寝てるときに、ドロボウに入られたのよ。アハハ。(片手は口を隠し、片手は軽く叩くような素振り、そう、大阪のオバチャンのような感じ)」

 

内容はひどいんです。環境もひどいんです。でも、おばちゃんすごく楽しそう。

諦めとかじゃなくて、復興に対して前向きなんです。生きていくことに対して前向きなんです。

 

隣人_子供たち
隣人_子供たち

ちょうど現場にいた、隣人の子供たち。

持って来たボールを手渡すと、すぐに遊び始めました。

 

遊んでいる様子を見る限りでは、つらい体験をしてきたような印象は受けません。

でも、この惨劇のなかで生活しているので、想像以上に苦しい思いをしているんだろうと、勝手に思ってしまいます。

 

さっきのおばちゃんと同様、とにかく楽しそうに遊んでましたよ。お父さんに怒られてたけど。。。

作業詳細

お疲れさまでした!作業終了で、金沢・・・のはずが・・・

作業も無事終了して、ボランティアセンターに報告、そして、宮城県を後にする。

まぁ、普通の話ですよね。

帰りのバスに乗って、最寄のインターに向かっていると・・・

 

運転手さん「おい、なんかおかしいぞ」

     「ギアが入らん。どうなっとるんや」

 

バスが10kmくらいの低速で道路を走行します。唸るエンジン。広がる不安。

 

とうとう、バスを空き地に停めて、手配してくれたOBさんが、すぐにレンタカー屋さんに連絡したり、メーカーさんに連絡したりと、明らかに異常事態です。

 

電話の話では、おそらくオートマオイルが漏れていたのだろうとのこと。オイルを補給して、なんとかなるような・・・ならないような・・・

 

メーカーさん到着。いろいろ見ながら約3分。すぐに結論に至ります。

 

 

「ダメっすね」

 

 

・・・。

・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!

ダメってなに!?なにがダメなの!アンタ、状況分かってんの!?

 

 

 

そんなことを言う人間はいませんでしたが、このバスでの帰省は無理だそうです。

で、スッタモンダがあって・・・

 

仙台ー金沢の夜行バスを急遽手配で、8名分確保。

残りは、レンタカー屋さんが、金沢から迎えに来るとのこと。

予定はかなり狂いましたが、それ以外に方法はなく、そのまま時間まで食事をすることになりました。

 

 

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こうして、第一弾は波乱万丈で幕を下ろしました。

 

遠くでテレビで見るだけよりも

 

コンビニの募金箱にお金を入れるよりも

 

支援物資を送るよりも

 

大変でした。

 

 

しかし、わざわざ惨状の現地に赴いたことで、それぞれの得るものはとても大きかったように思います。

 

忘れてはならないのは、被災地はまだまだ復興途中なこと。

我々が一度お手伝いしたところで、大きく変わるわけではありません。しかし、その積み重ねが大きな力となり、復興の手助けとなると信じています。

 

ボランティアから戻って数日、被災地に対する思いは急激に風化しています。

メディアの取り上げ日数も減少しており、目に触れる機会も少なくなってきています。

 

ボランティアに行く本当の意味を考えながら、NEOKANAZAWAとしては、ボランティア第二弾の予定を組みたいと思っています。

 

 

 

 

最後に、心に残った一言を記しておきますね。

 

 

「泣くだけ泣いたろ。さあ行くぞ!」